50代転職 やりがいこそ 年収半減でも「人らしく」

「希望されている会社に、あなたを必要とする仕事はありません」

2016年の夏、51歳で転職活動を始めた藤田啓治さん(仮名、54)は転職エージェントの言葉に愛想笑いを返すのがやっとだった。シニアの新天地探しの苦労は覚悟していたつもりだが、待っていたのは「打ちのめされる日々だった」。

クビになったわけではない。年収は2千万円。東証1部上場企業の執行役員の肩書もあった。だが望んだはずの出世に達成感が伴わない。「『安定』を追い求めた末に今がある。でも、やりがいって何かなって」。50歳を超え、焦りに似た感情が込み上げていた。

国立大工学部の学生だった1980年代後半はバブル絶頂期。「この中から選んで」。教授室を訪ねると、大手企業の社名が並ぶリストを示され、早々に就職先が決まった。父親の事業失敗で貧乏な暮らしを経験し「やりたい仕事かどうかは二の次」と考えていた。

入社後は当然のようにモーレツ社員の仲間入り。「仕事は利益を得る闘い」と割り切り、部下には「文句があるなら辞めれば」と迫った。海外事業を次々に成功させたが仕事が楽しいと思ったことはない。38歳で妻と離婚。仕事に追われ「幸せにする自信を失った」。

サラリーマン人生の転機は思わぬ形で訪れた。課長職だった42歳の時、突然激しい腹痛に襲われ、うつ病と診断された。長年の激務とストレスで体が悲鳴を上げていた。自暴自棄になりかけた3カ月の休養中、支えてくれたのが現在の妻。「あなたの心が健やかであることが一番」。弱音を吐ける相手を得て、人生の軸が変わり始めた。

「自分を押し殺すのはやめよう」。復帰後、執行役員まで昇進したが、決裁書類にひたすら判子を押し、接待ゴルフの調整ばかりの生活に限界を感じ、中高年向けの就活塾に通い始めた。

「自己分析」で分かったのは教育への関心だ。だが転職エージェントが薦めるのは前職に近い業種ばかり。「給料が下がっても構わない」と伝えたが「前の会社で問題があったと疑われる」と反対された。志望した2社は書類で落とされた。「転職しない方がいいと思います」。エージェントの言葉に心は揺れた。

妻に乳がんが見つかったのはそんなときだ。思い切って妻の実家がある茨城県に家を買い、地元の小さな会社で幹部の職を得た。年収は700万円に下がるが、教育関連の新規事業を担当できる条件が魅力だった。

ところが新規事業のゴーサインは一向に出ない。「余計なことをしないで」。警戒する社内からストップがかかり、お飾りのまま1年で退社した。

失意の中、「学習塾の新規事業の責任者に」と誘ってくれたのは旧知の会社経営者。50歳すぎの新人を温かく迎えてくれたことが何よりうれしかった。同じ失敗を繰り返すまい。現場に顔を出し、若手に「教えてください」と頭を下げる。「若者に学ぶことはないと考えていたが、今は刺激をもらっている」とはにかむ。

最近、妻から「やっと人らしくなってきたね」と笑われた。2度の転職で学んだことは、人生は案外自由だということだ。「つまずいても『次のステージが開けるはずだ』と思う余裕ができた」。人生100年時代、まだ折り返し地点だ。

佐藤淳一郎氏